服飾文化講座「イヴ=サンローラン」⑦
サンローラン以前の世界にだって、新しいことに挑戦していた人も一杯いたけど…
…2回続きでサンローランの色々な作品を見ていく中で、
「サンローランが男物のパンツスーツやらスポーツ着、労働着を女性服に取り入れたっていうけど、でもシャネルとか、戦前からそんなことしていた人一杯いたんじゃないの…??」
っていう疑問も同時に出てくる。
確かにその通りで、シャネルは肉体労働をする人やスポーツアイテムに使用されていた伸縮性のある素材、ジャージーでドレスを作って提案していたし、本人も恋人の男物を借り着したりパンツを履いて出かけるくらいのことはしょっちゅうだったみたいだ。
でも残された当時の写真を見る限りでは、それらはいつだって田舎の別荘地や海でレクリエーションをしている時、身内でのパーティーの余興といった、私的なシーンがほとんどだったということがわかる。最初に提案したジャージーのアンサンブルも、第一次世界大戦中に都会から避暑地に逃げ込んできた女たちのためにデザインしたもので、やっぱり最初念頭にあったのは戦時中の田舎での生活だ。
じゃぁ、アメリカの女性たちはどうだろう?1920年代や30年代の、男前な感じで売れっ子だった女優たちなんかは。
▼キャサリン=ヘプバーン。彼女の作品、実は全く観たことがないのですが (´o`;、男女を通じ、オスカー最多の4回受賞という、突出した才能の女優さんだったそうですね。ただ彼女は仕事人としてすごいだけでなく、その生き方も常識にとらわれないことで有名だったひとです。彼女も戦前から普段着にパンツを愛用していました。
(出展 / HANEY
http://www.shophaney.com/blog/2014/03/24/dress-like-fashion-icon-katherine-hepburn/)
▼マルレーネ=ディートリッヒ。この人も「百万弗の脚」とか言うわりに、脚を隠すパンツのイメージが強い人ですよね。下は映画「モロッコ」の撮影風景のようです。肝心の作品は…やはり古すぎてほとんど観たことがないんです(笑)!!ファッション関係の写真や映画のスチール写真ばかりをたくさん見てきて憧れを募らせていた…私にとってはそんな人です。普段着でもパンツ姿の多い人です。
(写真 / Eugene Robert Richee 1930)
▼親しい友人たちとの食事中のシャネル。左から、ロシアの作曲家ストラヴィンスキー、彼の妻、シャネル。ストラヴィンスキーは一時、シャネルに想いを寄せていたといいます。この時代、ロシア革命の影響でパリには多くのロシア人たちが逃げ込んでいて、音楽、舞踏、絵画など、文化も大きな影響を与えました。
…うーん、この3人の姐さんたちに共通するのは、みんな男顔っていうことですかね。
(出展 / Ellahoy)
▼1930年代頃でしょうか?これもシャネル。背後のデラックスな自動車からするに、ウェストミンスター公爵の恋人だった頃でしょうか。「ラッパズボン」という感じのかなり裾広がりのものです。
(出展 / Diseño de Moda )
https://www.dsigno.es/blog/diseno-de-moda/la-historia-de-una-disenadora-francesa-coco-chanel
…これが実はだめだった。
女性がパンツを履くことだけに絞ってみても、マルレーネ=ディートリッヒは1933年5月、男装でブロードウェイの劇場に行った際入場を断られている(出典/「Desexualization in American Life」)し、キャサリン=ヘプバーンもパンツでロンドンの高級ホテル Claridge’s に入ろうとしたが、Claridge’sでは1951年当時、ロビーで女性がパンツ姿でうろつくことが禁止されていた。これを告げられた彼女は、わざわざスタッフ用の通用門から入店したという(出典/Seamwork Magazine “Women in pants” )。
女性のパンツ着用はリゾート着やスポーツ着、スクリーンの衣装や勇敢な女性たちの昼間の街着…とじわじわ広がりつつはあった。しかしそれでも
─女性が男性の真似事をするのははしたないこと
社会には厳然たるルールが存在し、特にフォーマルな場所においては相手がいかなるスーパースターであっても、間違った格好の人は店からつまみ出されるくらい当たり前だったことがうかがえる。
こういった線引きは「男と女」だけではなく、「上と下」「大人と子供」「白い人と黒い人」「公と私」もしくは「時間軸」といったありとあらゆる形で物事が厳密に区別され、社会の秩序がきっちり守られるべく、混同は許されなかった。
1920年代30年代は、自由と民主化への前哨戦の時代
結局シャネルの歴史的な評価は、こうしたまだ困難な時代にあって、女性たちに「とりあえず自由のきっかけを与えた人」ということになるのだという。
それでも、この1920年代や30年代には階級闘争による革命が起きてソビエト連邦が建国されたり、アメリカで女性参政権が認められたり、日本でも全国水平社の部落解放運動が起きたり…といろいろな場所でみんなが分断されたラインを超えてひとつになっていくような運動がたくさん起こっている。
建築やデザイン、アートの世界でも、ものの本質や普遍性の部分、道具であれば機能性の部分をもっと純粋に取り出して造形化するモダニズムが盛んに実験を繰り返していた。
まぁ、参政権や国が新しく生まれてしまうくらいの出来事はさておき、少なくともファッションの世界においては、シャネルらがクリエイションした自由や理想形は、ごく限られた特権階級の女性たちしか体感することができなかったのだ。そう、そういう意味では、あの閉鎖的なディオールのドレスと何ら変わらなかった。(ただし、彼女は自分のアイデアが勝手に盗まれ、街に出回るのを平気で許していたため、そのスピリットはコピーの形で普及し、普遍化した経緯がある。)