硝子戸

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服飾文化講座「イヴ=サンローラン」⑧

1960年代…のお話でよく出て来る5月革命って何かしらべてみた。

そして、先週話題にしたシャネルたちが活躍した時代から少し下って1960年代。現代を生きる私たちにしてみれば、まぁ、この辺りからはさすがに自由でポップだったんじゃないの?…というイメージがあるけど、実際にはこの頃になってもまだ、当時のフランスの首相、シャルル=ド=ゴールを始め19世紀生まれの人々が文化や政治の世界ではけっこう普通に現役。

 

そんな保守的な「大人たち」が前世紀の美意識で作った壁が、まだまだ社会のあっちこっちに残っていた。そんな時代にあって若者とはただの半人前の存在であり、政治や文化の主役どころか「とるに足らない存在」としか認識されていなかったようだ。アメリカでは、黒人なんかもがここに加わっていたかもしれない。

 

こんな風に世の中はいまだはっきりと上と下、大人と子供、男と女、白と黒、公と私という感じで物事が厳密に区別されてはいたけれど、 1920年代と違うところは、工業や情報網の発達がさらに押し進められて日常生活の隅々まで、身分の分け隔てなく物や情報が行き渡るようになったところだろうか。贅沢や便利さ、高等教育の恩恵を受けられる人がぐっと増えて、戦前に夢見たような生活のいよいよ普及版の時代がやってきたのだ。世の中は空前の豊かさを体験していた。


でも、それも60年代も半ばに入ってくると、資本主義の発達で公害や新しい格差が生まれて来ていたし、ベトナム戦争の泥沼化も深刻な問題になっていた。

 

「大人たち」の作った戦後資本主義社会が、こうしてすこしづつ曲がり角を迎えていくのと平行して、その足下では「世の中でとるに足らない」「半人前」とされていた人々の不満が世界中でぱんぱんに膨らみつつあった。

 

そこへ1968年の5月、ド=ゴールの教育政策やベトナム戦争への不満などを持ったパリ大学の若者と警察隊の衝突事件が起こる。この時、警官隊が若者たちにふるった暴力への批判がきっかけとなり、フランスの労働組合や左翼系政党など、なんと世論の多くが一気に学生たち側に組みするという画期的なできごとが起こった。

そして学生に続き、今度は労働者たちが次々に団結してゼネストを起こし、職場を占拠して政府や資本家に待遇向上を訴え始めた。この団結と権力批判の動きは次第に地方にまで広がり、最初の暴動からわずか10日ほどでフランスの全機能がほとんど停止する事態に追い込まれた。

 

これがよくいわれる5月革命で、実際には「五月危機」と言った方が正確みたいだ。

 

完全に占拠されたバリケード内の解放地区や大学内では、お祭りムード。音楽が奏でられる傍ら、若者や大人たちが入り交じり、これからの世界についてあちらこちらで議論がかわされた。若者たちは自分たちの行動や主張が全フランスを巻き込み、権力を揺るがした事実に心底酔いしれた。

 

それでも最終的にはド=ゴールようやく重い腰を上げ、軍の圧力を背景に労働組合の希望を汲んで懐柔してしまい、学生たちと労働者たちがばらばらにされてしまったのだ。こうして社会は再び秩序を取り戻し、「大人たち」の手に戻って行っただけだった…

この動きはベルリン、ロンドン、ローマといった欧州の大都市にとどまらず、米国や日本でも同時多発的に起き続け、多くの若者たちが「自分たちが世界を変えられる」革命を夢見、そして結局は挫折を味わっていった。

 

▼これがわかりやすかったですね!よく聞く割に知らなかったので。

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