硝子戸

毎日の中で感じたことや興味を持ったことなどを書いていきます。

服飾文化講座⑨

みなさま、明けましておめでとうございます。

0から始めたブログに、いつの間にやら二桁のお客様が来ていただけるようになり、心から感謝しています。何十万プレビューで当たり前、というすごいブロガーの方達には遠く及びませんが、マイペースに頑張って行きたいです。今年もよろしくお願いいたします。

 

政治は変えられなかったけど、服装観は変わった

結局、若者たちは世界をすぐには変えることはできなかったが、その代わりに自分たちが主役の新しい文化の世界を持つようになり、社会の中に堂々と出しゃばるようになっていく。そして、そんな新しい世界の服装に社会を統制するためのルールやけじめは不要だった。

 

60年代の初めごろまでは、社会の秩序を保つための線引き以外に、個別のアイテムや素材にも、過去のルーツを根拠にした偏見や貴賎の感覚がいちいちつきまとっていた。


けれども若者たちは洋服を、そういった特定のサインを持たない、今の自分をプレゼンするためのただの道具としてしか見ていなかった。洋服を着る上で考えるべきことは自分の社会的な立場ではなく、着心地が良くてお洒落で、今の自分の感覚にマッチしていること。

 

もっと欲を言えば、無理のない値段であることだ。特に女の子たちはそれが男物だろうと軍モノだろうと労働着だろうと、はたまた膝の出る子供服みたいなスカートだろうと、自分たちの着たいものや着やすいものを自分で選んで勝手に着るようになった。この世界では、一足早く現代の私たちと同じ感覚が芽吹いていたと言える。

 

とるに足らない亜流が、主流の世界をひっくり返した

ただ60年代初期、英国のストリートで自然発生したという女子たちのパンツやミニスカート、男子のモッズ的服装は、フランスに入って来た後も、街のやんちゃな連中がいきがってるだけの、エキセントリックで、場合によっては汚らしい印象さえあるもの。洗練されないものとしてとらえられていた。5月革命が最初、一時的な「子供の遊び」ととらえられ、大人たちからしばらく放置されていたのと似ているかも知れない。


散髪に長期間行かなくてもいい男子の長髪に、ディオールのニュールックとは正反対、最低限の生地だけで縫い上がるミニスカート…いってみれば街ではとんでもない「貧乏ルック」が蔓延中(わたくしたちには関係ありませんが)、という捉え方だった。

 

しかし学生運動などを通じ、若者たちの文化が幅を利かせるようになっていたこの時代、貧乏ルックの若い魅力は確実に底辺のストリートから上流階級に向かって逆流を始め、最後には若いプリンスやプリンセスまでがそれ習う始末だった。政治の世界はさておき、服装の世界では確実に階級や若者たちの逆襲がまんまと成功をおさめていたのだ。

 

▼非常に珍しい??ミニスカート姿のエリザベス二世(車から降りている左側の女性)。右は妹君、美貌のマーガレット王女。お二人の母君、クイーンマザーを訪ねた際の写真。1964年撮影。

https://flashbak.com/wp-content/uploads/2013/10/PA-13162556.jpg

 (出典:FRASH BAK

https://flashbak.com/the-history-of-the-mini-skirt-in-14-photos-volume-1-10739/

▼こちらも英国王室の方々。右端、黄緑色のクイーンマザー以外のお二人(ピンク:マーガレット王女、ブルー:アン王女(エリザベス二世の長女で、チャールズ皇太子の妹君にあたる))は膝小僧を出したミニ姿。

https://royalhats.files.wordpress.com/2014/07/1969-07-01-investiture-61.jpg

(出典:ROYAL HATS

https://royalhats.wordpress.com/2014/07/01/historical-hats-the-prince-of-wales-investiture/

 

女王陛下やプリンセスまでがミニをお召しになる。

そう、確かにこれは一大旋風だった。

 

でも、これだけでは単なる特定アイテムの一時的な熱狂的流行に過ぎなくなってしまう。後半はかなり固定化してしまったモッズも最初はそうであったように、60年代「スタイル」の肝はあくまで、自由な発想で個人を表現するという普遍的な部分にあったのだから。

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