硝子戸

毎日の中で感じたことや興味を持ったことなどを書いていきます。

服飾文化講座10

1/2から、更新にずいぶん時間があいてしまいました (´o`;

今日ふと、久しぶりに自分のブログを見たら、なんだかあまりにも味気なくて寂しくてびっくり。

「もうちょっと、なんか華やかさとか賑やかさががほしい…!」

そう思いつつもブログのデザインをいじるための知識もないし、いまはちょっと文を書くだけで精一杯。近いうち、まとまった時間ができたら集中して勉強したいなと思います。

 

 

娘と同じものを着たい母親(大人)たちのために、流行の上品な翻訳版を。

 ▼おそらく30代の頃のサンローラン。ちょっと珍しい、いつもの黒縁めがねなしのお姿です。実はこの写真、アンディ=ウォーホールの作品制作のために撮られたポラロイドのうちの1枚で、このあとあの有名なキャンベル缶よろしく、4枚組の版画作品になっております。

https://fashionandphotographers.files.wordpress.com/2016/04/img_0145.jpg

 (出展:Fashion and Photographers https://fashionandphotographers.wordpress.com/2016/04/09/yves-saint-laurent-revolutionized-fashion/

  

 「かつて、若い娘は自分たちののママと同じような格好をしようと夢中だった。

  今では逆に母親たちが、なんとかして娘おしゃれに近づこうとして、

  娘たちのセンスを取り入れるのにけんめいである。この変動の中で、

  私たち若いデザイナーは現実的な面でのモードのリーダーでなければならないし、

  私たちの仕事は、服を作ることを通して時代の証人になることだと思う。

装苑1966年10月号/文化服装学院出版局「特集・パリモード」より、サンローラン自身の言葉)

 

…サンローランは首までオートクチュールの世界につかりながら、

  絶えず現実的に一歩に進めていく、パリモードの推進者と言える。

装苑1968年10月号/文化服装学院出版局「特報!’68 '69 秋冬パリ・コレクション」より、サンローランに対する批評)

 

まず、大人たちの世界にも若者たちの現代的で合理的な服装が広がって行くのに、冒頭でサンローランが語っているとおり、彼以外にもピエール=カルダンなども含めた「伝統的なクーチュリエの実力とリアルタイムの感覚両方を併せ持つ、優れた若手デザイナーたち」が次々にストリートの流行や、工業・宇宙といった時代のエッセンスを上手にサンプリングし、それぞれの手腕で「誰もが着たい」と思うようなハイファッションに落とし込み、それが広く社会に受け入れられていく段階があった。

 

最終的にはロイヤルファミリーをはじめとするスノッブたち、いい年をした大人の女性たちまでがミニやパンツであちこち闊歩するようになったことで、社会的にもいつの間にやら公式なパーティやレストラン、高級ホテルでもすまし顔で着用OKになっていった。

 

また、服装の合理性はパンツやスポーツウェアなどの動きやすいアイテムの普及のみならず、若い彼らはオートクチュール特有ともいえる「お高すぎる価格の問題」にも真っ正面からメスを入れていった。これについては、また後に機会があったら調べて書いていきたいと思う。

 

まぁだいたい、この辺りまでは先週までのお話と被るところ(前置き長い…)。

 

そう、60年代に「時代や流行の華麗なる翻訳家」として、伝統のオートクチュールに合理性や今の息吹を吹き込んだのはなにもサンローランだけではなかったし、もっととんがった活躍をした人たちもたくさん存在したのだ。しかし、時代を賑わしたデザイナーたちや作品の多くは、60年代という一つの枠の中に埋没していき、やがて忘れられていった。

 

自分を表現するための道具に、個性も時代性もいらない


多分、60年代に多く活躍した人々の中でも、特にサンローランの名前が長く生きながらえて「現代の服装の基礎を作った人だ」と言われやすい原因は、彼が「1から全く新しいものを考え出すタイプ」というよりは、「既存のものを自分流にアレンジし直すのが得意なタイプ」の才能を持っていたということ。

あとは自身が確かな技術を持った生粋のテーラードであると同時に、先述の「首までオートクチュールの世界につかりながら」という表現からもうかがえるように、パリ・オートクチュール門中の名門「クリスチャン・ディオール出身」という、正統派でわかりやすいルーツの持ち主であったこと。

しかも、デザインのために毎回ピックアップされるアイテムやテーマは幅広い上に、すでに歴史の中に長く存在し、無名の人々の間で愛用されていた匿名性の高いものも多かった。

 

安心や伝統といった基礎に裏打ちされたモダンさ。普遍性の高い、おなじみのアイテムの上で輝くサンローランらしさ。革新的なのにシックでぶっ飛びすぎない、古いのに新しい。この絶妙に心地良いバランス感覚、ミックスの感覚こそ、彼のアイデアが時代を超えて長く愛され、様々な形で生き延びていけた最大の理由だったんじゃないかと。

 

https://i1.wp.com/luxe.supdepub.com/wp-content/uploads/2015/12/YSL-fondation.jpg?fit=3100%2C2071

 (出展:LUXE sup de pub http://luxe.supdepub.com/index.php/yves-saint-laurent-le-smoking-the-first-female-tuxedo

 

アンドレクレージュやマリー=クワントのような「60年代の若さ爆発!」的偏りもなく、カルダンのようにすべてが革新的すぎるわけでもない。個性や時代性が立ちすぎる作品は、却って時間の中に埋没していってしまうのだ。(ただ、当然皆様すごいデザイナーな訳で、作品として眺めるには大変楽しく、かっこいい洋服が一杯なのです。)

 

サンローランの作品の中にも、もちろん豪華なソワレや個性的なドレスは数多くあり、それらは時代のワンシーンや社交場をにぎわしはしたが、広く一般に受け入れられてスタイル化したのはコートやスーツ、パンツといった日常的なアイテムがほとんど。

 

これらのアイデアは、もちろんサンローランのメゾンやプレタポルテで売られるオリジナル作品として何度も焼き直しされながら生き延びたが、一方で人気あるものは街中でもコピーが増殖するのは当然のお話。そしてそれらのアイテムたちは何度も焼き増しが繰り返される中で、もはやいつ誰が作ったのかさえもわからない、どこにでもある、誰でも1着は持ってる定番服、誰もが1回は着たことの服へと昇華し、最終的には人混みの中へ完全に消えていった。こうして、個人名も時代性もまったく消え去った彼の作品たちは、代わりに永遠の命を得て、21世紀に入って20年近く経とうとしている今でも生き続けているというわけだ。

 

さらに60年代も半ばになってくると、洋服が1着の中だけで完結している美しさやシルエットで売買される時代が終わり始めた。売り手側の提案する一方的な美意識をそのまままとうのではなく、コーディネートで売る時代になってきたのだ。

 

─洋服は自分を表現するための、実用的で自由な道具。

 まず社会の服装に対する認識の変化、そして表現のために必要な道具立て…現代の定番アイテムやスタイルの確立と、それらを自由に組み合わせて自己表現できるコーディネートの手腕。

 

ようやくこの段階になって初めて、平日はパンツスーツにトレンチコートをひっかけて仕事場へ急いだり、休日はファーコートにジーンズのミスマッチで友達と遊びに行くような現代女性の服装の基礎ができあがったことになる。サンローランはシャネルが戦前、とりあえず一部の女性たちに与えた服装や生き方における自由の「まさに普及版の時代」に立ち会い、「実際にその背中を押した人」になる─と講義をされた先生も話をされていた。

 

サンローランのお話をしていると、知らない間に現代の服飾史のお話になってしまう…うーん、確かに!さて、またもやすごい長文化してきてしまったので(笑)今回はこれでごきげんよう。次回はもしできたら、彼のプレタポルテ部門、イヴサンローラン・リブゴーシュのお話ができたらと思います。

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